スポンサーサイト



上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

【鳥取砂丘周辺】鳥取城跡(久松公園) part.1



[戦国時代] ブログ村キーワード

P1070285

どももです。
鳥取砂丘から車で20分前後の鳥取城跡にやってきました。




P1070294

久松山(史跡)は、1545年(天文14)に山名誠通[やまなのぶみち]により築城されたかつての鳥取城の跡。羽柴秀吉[はしばひでよし]による鳥取攻めなど戦国時代の激動ののち、江戸時代には池田氏が城主となり、因幡伯耆[いなばほうき]2国の拠点として長く存続した。

山頂には天守閣跡、二の丸跡と城門、石垣が残り、中世と近世の2つの遺構が共存する貴重な例となっている。周辺は桜並木の美しい公園として整備されている。







P1070298

鳥取城は1580年(天正8年)に毛利と羽柴秀吉(豊臣秀吉)
との戦いの舞台になった場所!

国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。
日本100名城は今回で2回目♪

前回は・・こちら⇒ 島根県 国宝松江城




P1070300

1581年(天正9年)に
毛利の重臣吉川経家(きっかわつねいえ)さんが城主に。

織田信長さんの部将で、中国地方の攻略を
担当していた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が鳥取城を攻撃。
この戦いで秀吉は 兵糧攻め を実施。


その時の逸話がまたすごくて・・・。


商人の皆さんを城の中に送り込んで高値で兵糧を売り、
川や海から毛利勢の兵糧が運ばれてくるのをストッピングー。

城にはわずかな兵糧しか用意されていなかったので、
すぐに兵糧は尽きてしまうわけです。





P1070308

何週間か経つと城内の家畜は食い尽くされ
4ヵ月も経つと餓死者が続出し、人肉を食べる人まで。。


その時の様子が 《信長公記》 にこう書かれています。

「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」






P1070310

城を守っていた吉川経家さんは、この悲惨な状況に
自決と引き換えにここ鳥取城を開城して切腹しました。


・・・そんな大変な攻防があったところな訳ですが、
今では市民の憩いの場になっています。





P1070311

明治に入ってお城は破却されてしまったので
現在残っているのは天守台と石垣だけ。

ただし、石垣だけでも充分に圧倒されます。
当時はここに櫓(やぐら)が建っていました。





P1070304

ここは二ノ丸跡。

池田長吉父子をはじめ藩主の居館の場所だったところだそうです。礎石が残っています。




P1070307

ベンチに座って鳥取市街を
見下ろしながらギターを弾いてる若者2人(わかりずらい)
気持ちよさそう。





P1070315

せっかくなので天守閣跡のある、久松山頂まで登ることにしやした。久松山の標高は263mだそうですで・・

そのぐらいなら、楽勝でしょ!
そんな軽い気分でゴーイングーしたのはいいけど・・




P1070317

2合目付近でストッピングー。

もうリタイア寸前。
呼吸はハァハァ、汗ダラダラ。

年配の方たちが
「すいません。先に行かせてもらいますね~」

とスラスラと登る姿に愕然とします。

本気で運動不足を嘆いたこの瞬間。
すいません、ちょっとちょっと休憩させてくだせい。



P1070324

・・ということで、天守閣、山頂の様子はまた次回。
はっきりいって絶景でした。



皆様の応援が励みになっております。
よろしければ応援おねがいしまーす!

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ


人気ブログランキングへ



theme : 国内旅行
genre : 旅行

comment

Secret



サイト内検索
カスタム検索
カレンダー
04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
旅行関連商品
リンク
By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード